Oct 26

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こないだの平日、仕事終わりに新幹線に飛び乗って神戸に出かけた。

兵庫県立美術館でたまたまやっていた「ミナ ペルホネン/皆川明 つづく」、軽い気持ちで観に行ったら内容がとても素晴らしく胸にくるものがあって、ファッションとの向き合い方を考え直すきっかけになったとともに、自分の気持ちにも大きな変化があった。

 

最初の洋服がずらりと並んだ部屋は圧巻だった。何年も前の服も最新のコレクションもごちゃまぜになって展示されていたけれど、どれが古くてどれが新しい洋服か一目見ただけでは全く分からず、流行に左右されないミナのデザインのセンスを感じる。

 

皆川さんをはじめとするデザイナーの方たちのノートやデザイン画の展示は、彼らのインスピレーションの源を覗いているかのようでとてもわくわくした。

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皆川さんのノートにあった"平常心"とタイトルのつけられた文章が、頭からずうっと離れない。

悲しみや怒りを感じるのは自分に素直なこと。まわりに合わせようとするからこころが乱れる。願いが届かないときこそ、こころを静める。この文章からたくさんの気づきを得た。

 

最後の展示では、着てから何年も経ったミナのお洋服たちと、持ち主の記憶とがいっしょに飾られていた。大切に着られた洋服と、その思い出を読んでいくうちに、デザイナーが洋服に込めた思いと、持ち主の記憶が深くつながっていることに気づいて胸があたたかくなった。

こんなに作り手と受け手の関係が密なブランドは他にあるのだろうか?なんて素晴らしいブランドなんだろう。感動でおもわず涙が出た。

 

ファッションの世界では、毎年毎年トレンドが生み出され、たくさんの服がつくられ、消費されていく。時が立つとそのトレンドは古くなり、洋服の価値も廃れて、着られることなくタンスの奥にしまわれるか、捨てられていく。

この一連のサイクルはファッションにとって良いものなのだろうか?懐疑的になった方がいいんじゃないか、とこの旅行中に自問自答した。

自分もトレンドに流されたり、誰かがもっていて欲しくなったり、思わず衝動で買ってしまったりする。これからは、作り手の意思に共鳴したり、長く着られるデザイン/素材の洋服を選んで、メンテナンスをしながら永く長く大切に付き合っていきたい。

 

これはファッションに限らず、ほかの文化芸術にもいえることなのかなとおもう。

今の時代は、洋服はもちろん、映画も大量に作られすぎていないだろうか?とふと考えた。

映画館がたくさんの新作映画で溢れているのはとてもいいことだ。だけど、「ひとつの映画をつくる」ことには、どれだけ大きな意味があり、どれだけ多くのひとに変化をもたらすのか?

映画がもつ意味やもたらす変化の重さを十分に考えながら、作り手は映画と向き合うのが大事なのかなぁと思うし(映画に携わる人間ではないわたしがこんな大口を叩くのはとても図々しい)、わたしたち観る側も、ひとつひとつ丁寧に作品と向き合う必要があるとおもう。

話題の映画をチェックするのもいいけれど、自分が心から大切だと思う映画を、何度も見返すことはもっと素晴らしい。

 

この展覧会から、本当にたくさんの刺激をもらってたくさん考えた。

考えることは時に楽しくて時に面倒くさい。

けれど思考を止めないことは何よりも大切だから、もっともっと考えて文化芸術を愛していく!