トルーマン・カポーティ『真夏の航海』について

もうすぐ夏が終わりそうなので、夏が来る前に書いた トルーマン・カポーティ『真夏の航海』のブックレビューを載せます。

 

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ここ数日気温の高い日が続き、夏が近づいてきたような予感がしたのでトルーマン・カポーティ『真夏の航海』を読んだ。

最近の気候にぴったりな本であるのはもちろんのこと、物語の疾走感がとても心地よく、息をつく暇もなく一気に読み終えてしまった。

40年代のNY社交界で生きる少女のひと夏の恋を描いたこの作品は、夏のきらめきと瑞々しさに溢れている。NYの都会的な情景が見事で、主人公の台詞や内面描写よりも、この街の描写に最も心を揺り動かされた。

陽射しが反射するマンハッタンのビル群、うだるような暑さの駐車場、薄暗いマンションの寝室で飲むマティーニ、夜のクラブの妖しげなネオンライトと人々のざわめき…その細やかな情景描写は、NYに行ったことのないわたしでもまるでその場にいるかのように景色が目に浮かび、音や匂いまでも感じさせるかのような現実感がある。

 

一方できらめく都会の街とは対照的に、主人公・グレディの紡ぐ言葉はどこか乾いていて冷たい。NY上流階級の娘であるグレディは不自由のない生活をしているが、なぜかいつも居心地が悪そうで、満たされない思いを抱えている。それは恋人のクライドの存在をもってしても癒せない。

グレディは17歳と登場人物の中でも幼い年齢であるが、その発言や考え方は他の誰よりも大人びており、このちぐはぐさが印象的である。

そして彼女の身体と精神の成熟度のちぐはぐさは、NYのまばゆい明るさとグレディ言葉の冷たさというちぐはぐさと重なり、物語を一層面白くさせている。

 

さらにこのグレディの性格は、作中で登場する風船によって象徴的に表されている。

デートでクライドが買ってくれた風船はすぐにしぼんでしまい、もう一度買ってくれた豪華な風船も、誤って手から放してしまう。

恋をしても、何を与えられても退屈を紛らわすことができず、どこかへ飛んで行ってしまいたいと思うような、人生に対する諦め。そんなグレディの心情がよく現れている描写であると感じた。

 

わたしがこの作品で特に好きなのが、ラストシーンである。

実はこの小説はカポーティの死後に自宅から見つかった未完の小説である。ゆえに彼は別のラストを想定していたかもしれないが、私はこの終わり方が物語とぴったり合っていると感じる。

自暴自棄になったグレディは、クライドと彼の友人と共に車で夜道を暴走する。友人のハンドルを無理やり奪ったグレディは、「死んじまうぞ!」と切迫していう彼の台詞に、ただ「そうよ」と返し、そこで物語は終わる。

終わりに向かってものすごいスピードで進んでいく彼女たちの様子は、美しくもあり残酷でもある。グレディの乾いた一言によっていきなり終わりを告げるストーリーは、危うく破壊的な彼女の内面そのものであり、だからこそこのラストシーンが最も素晴らしいと感じたのである。

 

 『真夏の航海』は、グレディというひとりの女性が、恋という波にかき乱されながら、少女と大人の間を小さなボートで行ったり来たりするような、ひと夏の物語である。

読み終えた今、夏がやってくるのがとても待ち遠しい。

 

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思ったような夏は過ごせなかったけれど、特別夏が好きな訳ではないのでまあいいでしょう。

夏の終わりにかけて、空気がひんやりするのを感じるとわくわくしてしまう。大好きな秋が来る気配がするなぁ。